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森氏の失言:個人と組織、社会とがひずみなく準備できているときとは

Japan is a country that works largely on consensus with politicians-often elderly and male ― acting behind the scenes.

(日本は概ね高齢で男性の政治家が、影でコンセンサスをとって国を動かしている)
― NBCより

“Society is not ready” を考える―アメリカの差別と分断の歴史から

 Society is not ready. という言葉があります。
 アメリカが南北戦争で奴隷を解放したとき、黒人に市民権を与えるかどうかという議論がありました。当時、白人と黒人とに全く同等の権利を与えることを求めていた人は、急進派と思われていました。
 アメリカは独立したとき、全ての人は平等に扱われるべきだという宣言を出しますが、それはあくまでも資産を持った白人の男性を意味していたわけです。
 
 リンカーンは、奴隷制度に反対し、黒人の人権に配慮しました。しかし、もし彼がさらに進んで急進派の要望を聞いていれば、南北戦争を通して奴隷を解放するだけの世論と推進力を得ることはできなかったはずです。当時はまだ Society was not ready(社会の準備が整っていなかった)、すなわち社会の機運がそこまで掘り下げられ熟していなかったのです。
 
 したがって、南北戦争の後、国家を再建するにあたり、リンカーンの後を継いだ指導者たちは、南部と北部の融和によって一つのアメリカを作るために様々な妥協を行います。つまり、州ごとの自主性に従って、南部諸州が黒人の権利に制限を加えることにもあえて反対をしなかったのです。そのために、1964年に公民権法が制定されるまで、黒人に対する様々な差別が残ってしまったのです。
 
 当時を生きた人が今のアメリカを見ると、黒人はもとより、男女同権、さらにあらゆる移民にまで同じ権利が与えられていることに戸惑いを覚えるはずです。公民権法が制定された後も、当分の間は人々の意識は変わりませんでした。最近まで Society was not ready だったのです。そして、当時を生きて現在に至った人が、自らを時代に合わせることができなくなったことが、アメリカ社会での分断の原因になったともいえるのです。
 

男女平等・多様な価値観が認められない日本社会―森氏の失言から

 さて、ここで日本の話をしたいと思います。
 戦前から戦後の成長期に、男女平等を理屈だけではなく、本質的な価値観として理解しようとしても、それは Society was not ready だったはずです。
 ですから、そうした環境で育ち、政界で頭角を表した森喜朗氏に言わせると、なぜこんなに自分がいじめられなければならないのかと思ったことでしょう。彼の心の中ではまさに Society was not readyでした。
 
 課題は、そんな人物を会長にいただかないと前に進めない、日本の組織のあり方なのです。
 老害という言葉は、逆に年齢への差別にあたります。人類が多くの犠牲と時間をかけて進歩し、獲得した様々な価値観や人権に関する意識を、個人と組織の双方がしっかりと体得できていない。そして、消化不良のまま「功労者」という不可思議な肩書で、年配者を組織の上に置く習慣が、今回の森氏の失言やその後の波紋へとつながったわけです。
 
 日本がオリンピック開催に向けてつまずいているとき、アメリカではトランプ前大統領の弾劾裁判が行われ、結局共和党の票が集まらず、弾劾はできなくなりました。
 そして、トランプ前大統領は4年後を目指し、再起をはかると豪語しています。それもそのはず、彼には昨年の大統領選挙で7400万もの票が集まったのです。
 
 彼に投票した多くの人の心理は、森喜朗氏に心の中で同情していた人々の心理に通じるものがあるようです。つまり、Society was not ready の時代を生き、今 Society is ready となった、そんな歴史の流れについていけない人々の戸惑いと怒りが、トランプ前大統領を支持する人々の中にもあるからです。
 常に、平等を意識してピリピリとし、組織の中でも気を使い、昔のように振舞えばセクハラやパワハラと非難され、社会から抹殺でもされるかのように扱われることへの不満が、トランプ前大統領への支持の背景にあったからです。
 

「妥協」を積み重ねてきた社会を変えるのは「個人」の意識改革

 しかし、一つだけ言えることがあります。
 人類には Society is not ready といって妥協したことが、後に大きな禍根を残した事例が、歴史上に多々あるのです。
 南北戦争の後の妥協により、その後も多くの黒人が差別に苦しみ、アメリカ社会そのものが人種間の不信感を払拭できずにきたことも、その一つです。また、ユダヤ人差別を軸に伸長したナチスの事例や、その膨張を容認し妥協した当時のイギリスの方針が、第二次世界大戦へとつながった事実なども忘れてはなりません。日本でも同じ頃、全体主義へと突っ走る軍部と妥協することで、国の安定を図ろうとした当時の指導者が戦争への歩みを止められなかったことも事実です。
 つまり、Society is not ready を Society is ready にしてゆくのも、我々一人ひとりの行動の集積にかかっているわけです。
 
 こうしたことを踏まえた上で、森喜朗氏の失言問題を考えるとき、例えば橋本聖子氏(東京オリンピック・パラリンピック担当大臣)が、女性でありながら森氏を擁護する発言を国会などで行ったことに注目したいのです。
 組織があるとき、その組織の中で妥協を拒否し、波風を立てることへの代償が日本では大きすぎるのでしょうか。勇気をもって是非をはっきりさせることができず、なりゆきを見守りながら、物事がうやむやになるまで待とうという意識が、日本社会の中に蔓延しているような気がしてなりません。
 
 そんな日本流の妥協のあり方を批判したのが、今回ヘッドラインで紹介した NBC の記事なのかもしれません。
 一人の失言をめぐり、妥協をしようとあくせくした結果、その後の処理の遅れを招き、それが世界からの批判へとつながったことの方が、森氏という時代から取り残された一人の老いた人物への個人攻撃よりも、はるかに重い課題のように思えます。
 組織にあらがい、Society is ready を作り出そうとする努力が見られなかったのです。
 
 我々が今現在「常識」と思われていることが、十年後には「非常識」へと変化してゆくことを忘れてはなりません。人類はそのようにして、三歩前進と二歩後退とを繰り返しながら、時の中を進んでゆくのです。
 ですから、常になぜ今まで当たり前だったことが非常識になったのかを、しっかりと個々人が考えてゆく必要があるわけです。
 それが本当に三歩前進のときであれば、それをしっかりと守るべきでしょう。しかし、二歩後退のときに世論の流れに同調すれば、それはとても危険なことのはずです。
 
 Society is not ready という言葉が、今の我々の社会にとって何を指している言葉なのか。そのことを冷静に見極めることは簡単ではないのです。
 

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『I Have a Dream!』マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著者)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)I Have a Dream!』マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著者)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)
1955年、バスの白人優先席を譲らなかったという理由で逮捕された男性がいた。この人種差別への抗議運動として知られるモンゴメリー・バス・ボイコット事件を契機に、自由平等を求める公民権運動がにわかに盛り上がりを見せた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはこの運動を舵取りし、そのカリスマ的指導力で、アメリカ合衆国における人種的偏見をなくすための運動を導いた人物である。「I have a dream.」のフレーズで有名な彼の演説は、20世紀最高のものであるとの呼び声高い。この演説を彼の肉声で聞き、公民権運動のみならず、現在のアメリカに脈々と受け継がれている彼のスピリット、そして現在のアメリカのビジネスマネジメントの原点を学ぼう。山久瀬洋二による詳細な解説つきで、当時の時代背景、そして現代への歴史の流れ、アメリカ人の歴史観や考え方がよく分かる1冊。

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