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太平洋を挟んだ二つの新興国に見える共通点とその将来

Since 2020, Philippine total trade to Mexico has been steadily increasing, reaching US$ 1.1 billion last year.

(2020年以来、フィリピンとメキシコとの貿易は健全に成長し、去年は11億ドルに至っている)
― フィリピン政府広報 より

スペイン占領下の面影を残す中米の経済大国メキシコ

 数日前、メキシコに6年間駐在していたある商社の人と話をする機会がありました。彼はメキシコ人といかに仕事をするかというノウハウについて色々と語ってくれました。それを聞いていると、今フィリピンと仕事をしている私の経験がいかにメキシコのそれと共通しているか、実感させられたのです。当然それには理由があります。今回は、そんなことを語ってみたいと思います。
 
 メキシコの中部にレオンという都市があります。その周囲にはグアナファトサン・ミゲルなどといったスペイン風の街並みが残る古都も多く、メキシコで最も美しい地域だといわれています。
 さらに、レオン一帯は世界の自動車産業にとっての大切な部品供給地として、経済成長も著しい地域なのです。当然日本企業も多く進出しています。その人はそうした地域で日本やアメリカから進出してきた企業へのサービスを提供する業務に携わっていました。
 
 メキシコは、中南米屈指の経済大国でもあります。GDPでいえば、韓国とほぼ同じ規模です。しかし、そんなメキシコ経済は隣国アメリカに大きく依存しています。輸出の8割がアメリカ向けであれば、メキシコ経済はアメリカ経済に大きく左右されることになります。当然通貨の上でもドルとの関係が気になります。近年ドル高のために日本では円安傾向が続いています。しかし、メキシコでは逆にペソが円に対してペソ高になり、ドルに対しても上昇傾向です。そういえば、ここ数年米ドルに対しては揉み合っているフィリピンペソも、円に対して上昇を続けています。双方のペソ高が成長著しい両国の経済への不安要因であるという人も多くいるのです。
 

「アメリカ嫌い」メキシコの成立とビジネス文化

 実は、メキシコはアメリカに依存しながらも、アメリカ嫌いな国であることでも知られています。人口の6割以上がアメリカに対してネガティブなイメージを持っているのです。特に、トランプ前大統領のときにメキシコから流入する移民へ強い規制がかけられたこともあり、アメリカ人のメキシコに対する偏見が反米感情に火をつけたといわれています。
 面白いことに、メキシコ人は「アメリカ」という言葉に敏感です。メキシコ人はアメリカ合衆国のことを、アメリカの文字を取り除いて「合衆国」と呼びます。というのも、元はといえばテキサス州やニューメキシコ州など、アメリカ南部の多くの地域がメキシコ領だったわけで、メキシコ人こそがアメリカの主人(あるじ)だという意識が強いからです。しかし現実はといえば、アメリカの影響を強く受けざるを得ない実情が、メキシコ人の心に複雑な影を落としているのです。
 
 そもそも、メキシコはスペインの影響が強く残る国で、民族運動の末にスペインからの独立を勝ち得たのは1821年のことでした。この時点ではメキシコはテキサスも領有していたのです。しかし、そんなテキサスに北部から移民が流入し、逆に彼らがテキサスをメキシコから独立させ、その後アメリカに編入したわけです。この独立戦争の際に、独立派が立てこもりメキシコ軍の攻撃を受けて玉砕したのが有名なアラモの砦で、その軍事遺跡はテキサス州サンアントニオにあって、今でもアメリカの栄光の象徴として観光客を集めているのです。
 つまり、今メキシコからの不法移民の流入に対して不快感を示しているアメリカは、元々自らが入植者をメキシコ領に移住させることで、その広大な領土を自分のものにしたことになります。
 
 メキシコはスペイン時代に持ち込まれたカトリックを信奉する人が大半です。カトリック系の国々は往々にしてビジネスにおいても人と人との関係性を重んじ、ビジネスとプライベートとの境界線も、プロテスタントが主流となる北米や北ヨーロッパに比べると曖昧です。ですから、個人的なつながりを強くすることがこれらの地域でビジネスを拡大させる土台となるわけで、時には夕食を共にしたり、家族を招いたパーティーなどを開いたりすることによって、社員との絆を深めることも駐在員にとっては大切な業務となります。そんなメキシコ人にとって、アメリカ流のマネジメントはあまりにもビジネスライクだと思われるのもまた事実です。
 

太平洋を挟んだ反対の国フィリピンとの共通点

 さて、ここでメキシコから太平洋の向こう側、13,700キロの彼方にあるフィリピンに目を向けてみます。実は、フィリピンも昔はスペイン領でした。そんな名残は至るところにあり、街の名前から人の名前まで、ありとあらゆるところにその影響を見ることができます。国民の多くは今でもカトリックを信奉し、そこに残るビジネス文化はまさにメキシコとよく似ています。フィリピンで仕事をする場合でも、相手との個人的な関係を強くすることは必須です。
 
 フィリピンはその後、1898年にアメリカとスペインとの戦争の末にアメリカに割譲されます。アメリカはフィリピンに軍事拠点を設け、経済的にも支配したのです。
 1946年にフィリピンはアメリカから独立します。しかし、その後もアメリカの影響は強く残るのです。それを象徴していたのがマルコス政権でした。ですから、1986年にコラソン・アキノ氏が独裁者だったマルコス大統領を追放し、フィリピンに民主化の嵐が吹き荒れたとき、彼女はアメリカとの軍事同盟も解消したのです。これはフィリピン国民のアメリカに対する複雑な心境を象徴した出来事でした。しかし、最近の中国の海洋進出によってフィリピンの主権が脅かされると、フィリピンは再びアメリカの軍事の傘に入ることを余儀なくされます。二つの大国の狭間に置かれる東南アジアの国々の複雑な状況を象徴した出来事といえましょう。
 
 実はメキシコとフィリピンには、大航海時代からのスペインの交易ルートがあり、戦国時代から江戸時代初期にかけて日本にやってきたスペインやポルトガル人の影響を受け、この二つの国に渡った日本人は、共に南ヨーロッパの文明に触れることになります。
 
 そして今、メキシコもフィリピンも、スペインからもたらされたカトリック圏ならではのビジネス文化を維持しながら、20世紀になって世界を席巻したアメリカの強い影響の下で経済成長を続けているわけです。
 思わぬところで、太平洋を挟んだ二つの国でのビジネスコミュニケーションのノウハウにある共通点に触れることができたとき、仕事をする相手国の成り立ちを知ることがいかに重要かを改めて実感させられたのでした。
 

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『フィリピン語 日本紹介事典 JAPAPEDIA』IBCパブリッシング (編)、クリスティニー・バウティスタ (訳)フィリピン語 日本紹介事典 JAPAPEDIA
IBCパブリッシング (編)、クリスティニー・バウティスタ (訳)
日本の四季と暮らし・伝統文化と芸術・マナーや日本食から、都道府県の紹介まで、いまの日本を正しくフィリピン語で紹介するためのフレーズ集。人口は1億人を突破、アジアで上位の経済成長率、平均年齢20代という未知の力を秘めた国、フィリピン。日本における外国人労働者数も国籍別で3位と日本との繋がりも深く、親日家の多い国としても知られています。本書は、ビジネスでもプライベートでも、日本について聞かれたとき、知識として知っていることをフィリピン語で正確に伝えることができるようになるフレーズ集です。

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