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タイでのよろこびと、日本の暑い夏、そしてフィリピン

“Hello Yoji. Yes, it’s flooded all over Dagupan and nearby. Cities, towns. My village including our house, is also flooded now. I feel sorry for those who live near riverside.”

ヨウジ、そうなんだ。ダグパンやその近郊はどこもここも洪水だ。大きな街も小さな街も、僕の村も。もちろん僕の家も水が溢れている。川のそばの人たちはとても大変だよ。
(フィリピンの友人のラインから)

タイで少年たちが洞窟から無事に救出されたとき、私も思わず歓声をあげました。本当によかったです。でも、この喜びを翳らせる事実があることに、どれだけの人が気付いているでしょうか。
 
それは現在のメディアとマスコミのあり方に深く関わります。
世界では常に惨事がおきています。いうまでもなく、日本でもその頃台風の影響を受けた集中豪雨で西日本を中心に多数の命が奪われました。それだけでなく、家屋などの財産を失った人が避難所生活を送っています。
 
先日、福島県白河市の城趾公園の近所を散歩していたとき、東日本大震災で被災した人々の仮設住宅の跡がそこにありました。すでに入居者は退去し、夕暮れ時の道の横に薄暗く無人の住宅が並んでいることに気付いたとき、ふと足をとめてしばらくその閑散とした風景を見詰めてしまいました。当時と今と、災害がおきたときの様子には何の変化も進歩もありません。
 
そして今、フィリピン北西部では、台風の通過を受けて洪水がおきています。
子供の頃、河川が整備されていなかった日本でもしょっちゅう台風による浸水があり、床下床上浸水がいかに生活に影響を与えたかよく覚えています。洪水のときは、たとえ家屋が流される危機に見舞われなくても、下水から河川の汚水まで、全てが家に流れ込みます。衛生面でも、そのあとの除湿を考えた上でも、それが例え床下浸水であっても大変です。
 
私が、フィリピンに連絡をとったとき、友人は一家をあげて1階から2階に家財道具を避難させているところでした。都市部から離れたところに住んでいる一人の友人は、川のすぐそばの家が流されそうになっているとラインで知らせてきました。それが今日のヘッドラインです。私は、日本でほんの少し前におきた惨事を思い出し、どうか皆が無事でいてくれるよう祈っています。フィリピンのこの地域は平地で、日本のような土石流の心配はないものの、護岸工事が充分でない河川が氾濫したときは、その猛威は想像をはるかに超えます。
 
そんな私は今カリフォルニアに来ています。
青空の下、パームツリーが微風にそよいでキラキラと輝いています。空港の近くにいるため、時折飛行機のエンジンの音がホテルにも聞こえてきます。フェイスブックにその光景をアップしているので是非みてください。ここにいると、日本の土石流もフィリピンの洪水もまったくの他人事です。誰もそのニュースすら知らない状況です。
しかし、タイの洞窟の少年の話は誰でも知っています。救出のために落命した隊員への同情も集まっています。そう、この話は劇的なのです。もちろん、子供の命が助かったことは素晴らしいことです。救助隊の人々にも敬意を表します。しかし、劇的ではない、日々の中で世界各地でおきている同様の惨事にはマスコミは無関心です。
 
実は、アメリカのメディアは、救出された子供の自宅にまでインタビューに行き、そのことが、PTSD(Post traumatic stress disorder)に苛まれている可能性のある児童への対応に問題があると地元の政府から非難を受けています。映画化の話もあるとのことですが、今大切なことは、救出された子供たちの精神状態や、親や関係者との再会のために静かな時間を与えてあげるべきではと思うのです。
 
そして、メディアはその数倍も犠牲者のでている日本の状況や、フィリピンなど途上国での災害の様子やその背景に目を向けるべきです。災害は、天災であると共に人災です。その国々の政治の状況や、税金の使われ方、さらには教育によって培われた災害への意識や、隣人への思いが大きく影響します。日本の場合、被災者を学校などの施設に収容し、硬いフロアの上で暑い夏を過ごすことを余儀なくされた人々がたくさんいます。先進国とは思えない情けない有様です。近郊のホテルに空室があっても、シャッターストリートに空き家が並んでいても、誰も気付かず、アレンジをする政治的システムもありません。
 
フィリピンの場合は、灌漑施設への対応の遅れが事態を深刻にしています。その背景には賄賂などで腐敗した政治があるといわれています。そこに鋭いメスをいれようとしているドゥテルテ大統領は、フィリピンの内政の深刻な実情をアメリカの尺度からみた世論に批判され、一時国際社会で孤立しました。
 
カリフォルニアは、そんな「リベラル」なアメリカを代表する地域です。
アメリカの「リベラル」は、アメリカの中で徹底して追求されるべきであることは、私も同意します。この国の格差や差別、新しい移民と数世代に渡って社会を築いてきた人々との意識の対立は確かに深刻です。その対立を乗り越え、安易なポピュリズムにメスをいれながら社会を再生しようとするリベラルな人々の強い意志には、日本人も見習うところがあるはずです。そして先進国と呼ばれる多くの国が、アメリカと同じ矛盾へのチャレンジを強いられていることも間違いないはずです。
 
しかし、アジアやアフリカといった、現代と過去との間でもがく国々には、それぞれに適した発展の仕方があるはずです。アメリカのリベラル層はそこの繊細なカラクリに意識を向けず、大上段でアメリカの自由と民主主義を世界に持ち込もうとします。そうした人々が見落としている現実が、タイの少年への同情と、他の惨事との報道姿勢のギャップなのです。
 
子供の権利は世界で守られるべきです。しかし、日本で体育館に押し込められている老人を報道して、その課題を追求するマスコミは世界に皆無です。まして、フィリピンの地方都市の災害と、途上国が取り組んでいる文字通りの「泥にまみれながらの近代化」に、観客席からあるときは声援をおくり、あるときは批判をするのが、今の「リベラル」な世論に押された世界のマスコミの課題なのです。「子供」、「勇敢な救出劇」の二つがセンセーショナルなニュースとなったわけです。
 
そして、マスコミの報道を常に監視し、しっかりとした立ち位置でその課題を指摘するのは、我々視聴者の役割なのかもしれません。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

 
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フィリピン情勢からみえてくるアメリカのリベラルの内部矛盾

“Is there a more elastic word in the English language than the word liberal?”

英語の中でliberalという単語ほど、伸縮自在な言葉はないのでは?
(BBCより)

リベラル liberal という言葉は、寛大で心が広く、革新的、あるいは進歩的という言葉と共通しています。民主的で、人種差別などを否定し、人権を尊重する考え方を示します。
 
アメリカであの人はリベラルな人だといえば、基本的にその人は良い評価を得ていると考えられます。つまり、彼らは個々人の人権 human rights を尊重し、移民に対しても、他の文化にも寛容 tolerant で、自然や動物の保護にも積極的です。彼らの多くは比較的経済的にも余裕のある中産階級で、海外に居住した経験のある人も多くいます。もちろん海外を旅した経験も有している人がほとんどです。そんな彼らは一様にトランプ政権には批判的です。
 
そんな彼らが支持するオバマ前大統領のとき、フィリピンで大きな変化がありました。デュテルテ大統領が就任し、彼が麻薬との戦争を宣言したのです。デュテルテ大統領は、警察に対して抵抗する者は容赦なく殺害することを認め、麻薬や麻薬にかかわる組織の撲滅に乗り出しました。
フィリピンの刑務所は逮捕された麻薬中毒者で溢れ、劣悪な状態となりました。また、麻薬にかかわる人は容赦なく警察に殺害され、さらには賄賂を受け取る政治家にまで粛清の手が伸びました。
 
この状況をみたオバマ大統領は、フィリピンで人権が尊重されていないことへの懸念を表明しました。それはそれでアメリカのリベラルな人々の世論を代弁したコメントだったのです。確かに、麻薬犯とはいえ、裁判を受け、刑に服し更生される権利があります。警察はあくまでも行政組織です。そんな行政組織は余程のことがないかぎり、裁判にかけずに被疑者の命を奪う権利はないはずです。
 
しかし、オバマ大統領の指摘を受けたデュテルテ大統領は、強く反発しました。そしてデュテルテ大統領のオバマ大統領へのコメントが乱暴だったために、その表現がメディアに取り上げられ、アメリカではデュテルテ大統領は人権を無視するヤクザのような大統領というイメージが定着したのです。特にリベラルと呼ばれる人々にはデュテルテ大統領のやり方は異常だったのです。
 
では、フィリピンではどうだったのでしょう。フィリピンの人は、長年政府の腐敗と麻薬の弊害に悩まされてきました。デュテルテ大統領は強権ながら、その双方に鋭くメスをいれたため、多くのフィリピン人がデュテルテ大統領の手腕に賛辞をおくりました。実際、街角から犯罪や麻薬への脅威が払拭され、政治家の腐敗も少なくなりました。確かに、フィリピンでは腐敗と麻薬の被害は、我々の想像する以上に深刻だったのです。
 

 

フィリピンには以前、マルコス大統領という独裁者がいました。
彼に暗殺されたとされる、ベニグノ・アキノ氏の遺志を継いだとして大統領になった夫人(コラソン・アキノ)は、まさにフィリピンに民主主義をもたらした人として、そして女性の大統領としてアメリカのリベラルな人々の支持を受けました。アキノ大統領は、アメリカ軍基地を産業施設に変えて、アメリカ軍をフィリピンから締め出したことで、アメリカ政府との対立はあったものの、多くのアメリカ人は彼女を女性の民主化の旗手として応援したのです。その影響もあり、日本でも彼女は高く評価されています。

しかし、フィリピン人の中には、アキノ大統領への不満がくすぶっていました。彼女はフィリピンの中でも華僑系の富裕層の出身で、正に富と腐敗の上に成り立っている政権だと多くの人が思っていたのです。暗殺された夫のアキノ氏は、実は夫人の手にかかったのではないかという噂まで流れているのです。
マルコスは実はベニグノ・アキノ氏に政権を譲ることを意図していたともいわれています。こうしたことの真実はわからないものの、この二人の政治上のライバルが、以前は友人であったこともまた事実なのです。
 
アメリカのリベラルといわれる人の良心は、常に世界の人権と民主化の問題に目を向け、独裁者や強権を振るう政治家に懐疑的です。しかし、アメリカがそんな海外の政権を冷戦やその後の世界の覇権争いの中で自分の思うように操ろうとしてきたこともまた事実です。そうした国々の国民の多くは、アメリカのリベラルと呼ばれる人々に対して複雑な意識を持ちます。
植民地としての苦しい体験や、その後の冷戦の間での様々な矛盾にもがいてきたアジアやアフリカの現状を、アメリカの理想で一刀両断することへの憤りがそこにはあるのです。
デュテルテ大統領を支持しなければならないフィリピンの社会事情への無理解を糾弾したいのです。そして、なによりもアメリカはそんなフィリピンの宗主国であったことを、多くのアメリカ人が忘れていることも事実なのです。
 
世界をステレオタイプで型にはめてみることは、人々の心にお互いへの不信感を醸成します。
複雑に絡み合った世界の事情、そして背景や歴史をじっくりと見つめることが必要です。
アメリカのリベラルといわれる人々に求められていることは、自国になぜメキシコに壁をとまで言い切るトランプ政権が、彼らの意に反して生まれてしまったのか。そして、世界の人々がなぜアメリカのいう「民主化」や「自由」という呼びかけにアレルギー反応を起こすのかを、自分の尺度から距離をおいて見つめ直すことなのかもしれません。
 

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英語力だけじゃない、世界に通用するスキルを身につけるなら

『日本人がグローバルビジネスで成功するためのヒント Tips for How to Succeed in a Global Business Context』ジョン・K・ギレスピー (著)、小野寺粛 (訳)日本人がグローバルビジネスで成功するためのヒント Tips for How to Succeed in a Global Business Context
ジョン・K・ギレスピー (著)、小野寺粛 (訳)
グローバルビジネスのスキルを学びながら、英語学習にもなる。ビジネスパーソンのための対訳読み物。
20年間で、海外の日系企業の5000人を超えるビジネスパーソンと面談を行ってきた著者が教える、「日本人のためのグローバルビジネスで成功するためのヒント」。日本人以外の人々とのコミュニケーションやビジネスに対する見方を説明しながら、日本人の問題点を指摘し、その解決方法を伝授。グローバルに成功したいビジネスパーソンのみなさんに、英語力よりももっとはるかに大事なことをお教えします。

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「英語が公用語」のフィリピン、その語学マーケット事情とは

“Filipino is also designated, along with English, as an official language of Philippine. It is the standard resister of the Tagalog language. Tagalog is among the 185 languages of the Philippines identified in the Ethnologue.”

(フィリピン語はタガログ語を標準化した英語と並ぶフィリピンの公用語。とはいえ、タガログ語はエスノローグ(世界の言語についての出版物)によって認識されている、フィリピンで喋られる185の言語の中の一つの言語なのだ。)
(ウィキペディアより)

マニラから、北に車で6時間、リンガエン(Lingayen)という町にきています。これですでに3回目の出張となります。
マニラから北に延びる高速道路を2時間半、そこから右手にゆるやかな山並みを見ながらのどかな田園と村や町を抜けて西へと車を走らせます。
最初のとき、平日の朝出発したために、マニラ市内の渋滞にはまり、7時間以上かけて現地にはいりました。
それに懲りて、今回は日曜日の早朝にマニラを出発。途中までは実にスムーズでした。しかし、高速道路を降りて、一般道を走行すると、まず葬式の車の列、次に道路工事の渋滞、さらに教会などの様々なセレモニーの車の列にぶつかり、何度ものろのろ運転を強いられます。
地方都市は日曜日の方が渋滞が激しいというのもの皮肉なものです。
 
リンガエンは、パンガシナン(Pangasinan)州の州都です。そこはリンガエン湾に面して長い浜辺が延びる風光明媚な地方都市。魚の養殖のみならず、木製の家具の産地としても知られています。第二次世界大戦では、日本軍とアメリカ軍とが激しく交戦した場所としても知られています。
 
ここでの仕事は、質がよく、真面目に働いてくれるスカイプ英会話の先生を発掘することです。
今、日本では英会話の先生が求められています。児童英語や中高校生向けの会話指導、さらには英文添削ができる人材が不足しているのです。
フィリピンはもともとアメリカの植民地であったこともあり、多くの人が英語をしゃべります。
そもそもフィリピンを構成する8,000もの島々は、それぞれに独自の文化があり、場所によって言語が異なります。英語がフィリピン全土で共通に話される言葉であるといえば、多少誇張になりますが、それもまた現実です。
 
元来、フィリピンの共通語は、マニラ周辺で話されるタガログ語でした。実際、タガログ語は、フィリピン人に共有される言語として改良もされ、今ではフィリピン語という名称が与えられました。
しかし、フィリピンにはタガログ語とは文法も表現も異なる様々な言語が共存しています。そんなフィリピン人にとって一応第二言語とはいえ、英語は全国レベルで公の場所で通じる言語に他なりません。
 
ただ、フィリピン人の英語がいわゆる英語を第一言語として使用する国と同じく質の高いものかというと疑問が残ります。最近セブ島などで日本とスカイプで結ぶ英会話講座を多くみかけますが、確かに日本人のスピーキング力をつけるためには彼らは最適な人材でしょう。児童英語の場合は特にそうで、フィリピンの人々の明るい気質は、児童に楽しみながら英語を学ばせるには最適です。
しかし、多くのフィリピンの講師が発話と同じレベルで読み書きが堪能かといえば、それは事実ではないのです。
 
そこで、英語の4技能全てに対応出来る優秀な人材を発掘するために、はるばるリンガエンまで出張するのです。
それには理由があります。フィリピンもマニラやセブといった都市部はアジアの他の地域と同様で、より高い賃金を求め、人が頻繁に転職します。人材マーケットの競争がだんだん激しくなってきているのです。
しかし、パンガシナン州のような遠隔地になれば事情は異なります。
しかも、ここで暮らす人々は、家族を支えるために勤勉に働きます。英語のレベルも人によってはかなり高く、今一緒に活動している人たちは、アメリカ人の英語講師と比較してもひけをとらない総合的な英語力をもっているのです。
 

リンガエンで働くある英語の講師の家を訪ねました。
彼の住む村は市内から車で30分ほど。そこには水道もなく、人々は井戸水で生活しています。川に面した村の主要な産業は農業と川での漁業。人々は椰子の葉を編んだ屋根の家で生活しています。
村には小学校しかないために、優秀な生徒はリンガエンで中等、高等教育を受けるのです。そして英語の先生になって公立高校で教鞭をとることが、彼らにとっては最高のステータスシンボルというわけです。
 
フィリピンは3月を過ぎると熱くなり、4月から5月にかけて熱暑に見舞われます。そんな南国の強い陽射が傾く頃、リンガエンでの仕事のあと、隣町のダグパン(Dagupan)の宿に泊まります。

翌朝、仕事の前にそこの魚市場を訪ねました。朝水揚げされた見事な魚があちこちで威勢よく売られていました。
リンガエンまでのタクシーの運転手にその話をすると、彼も副業で魚の養殖をしているとのこと。
複数の仕事を持って生計をたてるのは、フィリピンではごく当たり前のことなのです。英語教師の多くも例外ではありません。
物価はだんだんと上がるものの、賃金が追いつかない。それはマニラなどの都会に限らず、こののどかな地方都市でも同様なのです。
 

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アジアの人々と働くこと

『なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)
価値観の違うメンバーを戦力化するための17のルール!
訪日外国人の数が、毎年過去最高を記録している現在の日本。お客さまが外国人であれば、接客する側も言葉や文化を理解している同国人のほうがいいと考えるのは当然のこと。
しかし、「はたして外国人に、日本人と同じレベルのおもてなしを実践することができるのか」「どうやって、外国人におもてなしの教育をすればいいのか」と、懸念や疑問を持つ現場関係者が多いのも事実です。
本書は、外国人とりわけアジア系人材を、おもてなし提供者として育成する教育方法について、銀座のデパートで実際に行われている事例を取り上げながら、詳しく解説します。

留学で成功するために!

『逆転の留学』高野幹生 (著)逆転の留学』高野幹生 (著)
留学で掴め!人生逆転のチャンス。
「海外留学」は決して優秀なエリートのためだけのものではありません。学生はもちろん、社会人であろうが、中高年であろうが、人生でなにかネガティブな状況にある人にとって、留学はひとつのソリューションになり得るのです。
本書では、人生を「逆転」するためのさまざま留学形態を、具体的な事例を交えながら紹介。JACSAC認定留学カウンセラー・高野幹生が、失敗しないための方法と心構えも指南します!

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歴史の重みに悩む社会の世直しに強権は必要か

“A Philippine President had an approval rate of just 48% — the first time his popularity has dipped below 50% during his 16-month presidency.”

(フィリピンの大統領の支持率は48パーセントと、就任後16ヶ月にしてはじめて50%を割り込んだ)
CNNより


【ニュース解説】

フィリピンとサウジアラビアの共通点

今回は、先週解説したサウジアラビアでの改革の旋風を思い出しながら、フィリピンの現状を考えてみます。
というのも、フィリピンにもサウジアラビアにも共通していることは、長年の汚職や不公正に対して、強いリーダーによる強権政治が必要かどうかの是非が問われているからです。
サウジアラビアは、皇太子モハメッド・ビン・サルマンに権力が集中する中で、王家も含む伏魔殿にメスがはいろうとしています。そして、フィリピンでは、逆らう者を射殺してでも麻薬と賄賂を撲滅するとしたドュテルテ大統領が話題になって、すでに1年以上が経過しています。

フィリピン人のルーツ

「フィリピンの人の顔をみるとね、いろいろなルーツがあることがわかるんです」ルソン島の中部にある町を仕事で訪れたとき、現地の友人がそうかたってくれました。
私の前に座る5人のフィリピン人。彼らの顔をみると、確かにそれぞれ異なったルーツがあることが確認できます。ヨーロッパ系、アメリカ系、中国や日本系などなど、多様な民族の血がそこに流れているのです。

フィリピン人の英語が堪能な背景

まず、フィリピンはに16世紀スペイン領になっています。ですから、今でも町や通りの名前などにその名残があるだけでなく、彼らがローカルに話す様々な言語の中にもスペイン語が混ざり込んだりしています。
そして、1898年にアメリカとスペインが戦争をしました。その戦争にアメリカが勝利した結果、アメリカはスペインからフィリピンを譲渡されます。アメリカの植民地となったことが、フィリピン人が他の地域より英語に堪能になった原因となりました。また、フィリピンが近代法を導入するときなどに、アメリカの法律が参考にされました。

フィリピンの戦い

そして、1941年のこと、アメリカと日本が戦争になると、フィリピンは激しい戦場になりました。スペインやアメリカ領の時代にも、現地のフィリピン人への差別や虐待は多くありました。独立運動もおき、その犠牲になったフィリピンの人も多くいました。そして残念なことに、フィリピン人に対する対応は、日本が数年間フリピンを占領したときも同様でした。日本の占領政策に不満を持った多くのフィリピン人が、アメリカが日本に反撃し、フィリピンに再上陸したときに、アメリカ側に協力しました。その結果、密林の中で、飢えや疫病で数えきれない日本兵が命を落とし、戦後になっても戦犯として裁きを受けたことはよく知られています。

独立後のフィリピン

戦後にフィリピンは独立しますが、貧困や政変が続き、国は荒廃します。そして多くのフィリピン人が家政婦などになって海外で働きました。
この経緯から、フィリピン人にはスペイン、アメリカ、そして日本や中国の血の混じった人が多くいるのです。

フィリピンの学校ではもちろん、こうした過去の悲劇について教えています。日本人が忘れている日本軍の占領時におきたことも教わっています。不思議と彼らはそのことを公の話題にはしません。でも、彼らに深く聞けば、歴史の授業で日本のことをどのように勉強したかがわかってきます。
そんなフィリピンが独立以来悩み続けてきた社会の混乱。特に蔓延するドラッグと賄賂を一挙に撲滅しようと、強硬策を実施したのがドュテルテ大統領でした。しかし彼の人気に今陰りがでているといわれます。裁判なしで、警察がどんどん容疑者を射殺し、刑務所に送り込んだことが、人権侵害と三権分立の原則に反すると攻撃されているのです。ある人によれば、スペインの占領政策の影響で、フィリピンには多くのカトリック信者がいることも大統領の人気の陰りの原因であるといいます。教会が大統領が麻薬撲滅政策の中で、人命を軽視した改革を断行していると批判しているからです。
長い歴史の重圧を克服し、国家を成長させることは並大抵のことではありません。フィリピンに限らず、中東やアフリカなど、近世から現代にかけて植民地として収奪された地域の多くが、その影響から抜け出し社会を発展させることができず、今でも政情不安や貧困に悩んでいることはいうまでもありません。
先週紹介したサウジアラビアのように、そうしたジレンマを解決するためには強権的な改革も必要なのかもしれません。そして、サウジアラビアでのニュースが流れたとき、真っ先に思い出したのが、ドュテルテ大統領の政策でした。サウジアラビアの場合も、女性に対する不公平など、様々な社会問題を解決するときに、つねに課題となったのが、イマームと呼ばれる宗教的な権威による抵抗でした。
フィリピンの場合、人権問題という課題を克服しながら、教会や司法との対立を乗り越えて改革を続行できるか、今大統領の手腕が問われているのです。
国が未来に向けて過去の汚泥を捨て去るとき、どこまで強権を行使できるのか。あるいはどこまで強いリーダーシップが許されるのか。
サウジアラビアとフィリピンのケースが、世界から注目されているのです。

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『海外メディアから読み解く世界情勢』山久瀬洋二日英対訳
海外メディアから読み解く世界情勢
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

海外ではトップニュースでありながら、日本国内ではあまり大きく報じられなかった時事問題の数々を日英対訳で。最近の時事英語で必須のキーワード、海外情勢の読み解き方もしっかり学べます。

山久瀬洋二の「海外ニュースの英語と文化背景・時事解説」・目次へ

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