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完璧を求めるあまり硬直する日本社会の課題とは

The weakness of the Japanese people is striving to be too perfect-that means trying too hard to be perfect even before entering the process that leads to perfection.

(完璧すぎる日本人の弱点、それは、プロセスの前で完璧にこだわりすぎる日本人のことを意味しているのです)
― IBCパブリッシング『完璧すぎる日本人』より

退園した幼稚園の卒園式に参加させるのは“ルール違反”?@日本

 二日ほど前、日本で16年を過ごしたのち、今年の8月に帰国したアメリカ人の友人とワシントンD.C.の郊外で夕食を共にすることができました。
 帰国前に彼の子どもは日本滞在中に通っていた幼稚園の友達とお別れ会をし、寂しくなって泣き出したそうです。そこで、来年の3月に日本へ出張するときに、彼は子どもを連れて、その幼稚園を訪ねようと計画しました。というのも、ちょうど出張の時期に卒園式があったからです。
 彼は幼稚園側に連絡をして、卒園式に自分の息子を参加させたいと申し出ます。すると、幼稚園側から、息子さんは退園したのだから卒園式には参加できないという答えが返ってきたのです。
 
 「いかにも日本らしいリアクションだね」と友人は皮肉っぽく語ります。
 残念ながら、私もそのコメントに異議はありませんでした。
 
 ルールを変えたり、例外を設けたりすると、他の親からクレームがきたときに問題になると思ったのでしょうか。それとも、ルールはルールという意識を子どもに教えるためなのでしょうか。または、幼稚園が予測していなかった申し出に対応するために園長をはじめ関係者が戸惑い、結論を出せなかったのでしょうか。それとも、もし公式の卒園式に参加しているとき、何かの間違いで事故が起きた場合、幼稚園として園に通っていない彼の子どもに対して、責任の持ちようがないからだと思ったのでしょうか。
 
 おそらく、これら全ての理由が難色を示した理由でしょう。しかし、小さな子どもがはるかアメリカからやってきて、卒園式に友達と参加する素敵な経験を、日本の園児も私の友人の子どもも「大人の事情」で葬り去られたことは事実なのです。
 
 リスクを回避して、ルールの尊重をしていれば何も問題は起こりません。しかし、今日本が最も知らなければならないことは、そんなリスク回避を常に考え、新しいことや自分たちとは異なるアイディアを警戒するために、ルールに対する柔軟性が欠如してしまうことで、日本人そのものの世界における競争力が劇的に低下していることなのです。
 

凍えていたらやって来たバスに乗ろうとしたときのこと@米・ボストン

 このワシントンでの夕食の数日前、一足早い冬で凍え切ったボストンで打ち合わせに向かうためホテルを出たところ、たまたま乗合バスが来たので利用しようと思いました。
 バスのチケットを買うには、近くにあった券売機でクレジットカードなどでそれを購入するか、あるいはキャッシュを運転手さんに渡さなければなりません。券売機がうまく作動しなかったので、運転手さんにキャッシュで支払おうとポケットを探すと20ドル札しかありません。これでお釣りが出るのか心配です。そこで申し訳なさそうに20ドル札を差し出すと、運転手さんは笑って、「構わないよ、乗りな」と言います。そして乗り込む時に「寒いよなあ」と言って、また笑いながら私を招き入れてくれました。
 もちろん、乗っていた数人の乗客も和やかな雰囲気で、私だけが無料で乗車できたことを咎める人は誰もいません。日本にありがちな建前だけの「公平性」の常識が吹っ飛ぶ瞬間でした。
 
 ルールはルール、もし誰かからクレームが来たらという意識は運転手さんの中には全くなく、その場で凍えていた旅行者に対応してくれたのです。さらに大切なことは、バス会社という組織に所属しながらも、彼が自らその場で決断してくれたことなのです。
 もちろん私が正直に20ドル札を差し出した行為も大切です。運転手さんを無視して乗り込もうとすれば、それは当然ルールを破る犯罪でしょう。しかし、この一幕は、その場での判断や状況への柔軟な対応が、社会をどれだけ暖かくするかを実感できたケースでした。
 
 同様の場面があったとき、日本ではどういった対応があるかなと考えていたときに、上述の幼稚園でのエピソードに遭遇したのです。日本人の意識、さらに日本企業など組織に縛られた人間の意識によって、人が機械のように決められたことしか行わず、組織に従順であることのみが問われている社会構造が、どれだけ深刻な問題なのかを改めて考えさせられたのです。
 

Perfectionism(完璧主義)vs. Flexibility(柔軟性)?

 よく、日本人は完璧であることをよしとします。英語では、こうした考え方をPerfectionism(完璧主義)といいますが、実は欧米の人々はPerfectionismよりFlexibility(柔軟性)を大切にします。状況に即応でき、必要であれば一度決めたことでもその場の事情に合わせて、対策を立てて行動を変えることが人間力、さらには組織力の基本であると考えます。
 ですから、一つの「型」に縛られがちな日本企業に馴染まない海外の人は結構多いのです。これは、当然世界からの多様な知恵を集約して、より競争力のある製品やアイディアをもってグローバルな世界に太刀打ちしなければならない現在では大きな弱点となります。
 
 幼稚園のエピソードは、日本社会の背景にそうした深刻な課題があることを象徴的に語ってくれます。幼稚園のみならず、より高学年、さらに高等教育の教育現場のことを考えると、その根深さが見えてきます。
 学生が課題をやってこなかったときにそれを指摘すると「威圧授業」としてクレームを受けることがあるため、対応は慎重にと、ある大学での講義を担当したときに、そこの教授から事前に注意喚起されたことを思い出します。
 アイディアを叩きあって建設的に議論をするときに、ちょうどスポーツのように学生と教師が一体となって意見をアタックし合い、より高度な結論へと導き出すことが、日本の教育界ではタブーになりつつあるのです。議論を闘わせることよりも、カリキュラムを従順にこなすことで教師は満足しているようにも見えてきます。それも学生やその親とのトラブルによるリスク回避と、学生の人権を侵害してはいけないというルールに対する極端に完璧な運用の結果なのでしょう。これが日本の将来に暗い影を落としていることは、海外に出れば一目瞭然です。
 
 「日本人は何かあればお詫びはするけど、そこでの臨機応変な対応はしてくれない」
 「逆に海外の人は、お詫びはしないけど、状況によって行動をどんどん変えてゆく。こうした行動の変化に日本人は翻弄され、彼らは言ったことを守ってくれないと文句を言う」
 ワシントンD.C.でこんなことをジョークのように語り合う海外の友人の言葉を楽しく聞きながら、それでも困ったものだと苦笑いをしてしまう夕食のひと時でした。
 

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『日英対訳 「源氏物語」のものがたり』ステュウット・ヴァーナム−アットキン (著)、とよざき ようこ (訳)日英対訳 「源氏物語」のものがたり
ステュウット・ヴァーナム−アットキン (著)、とよざき ようこ (訳)
紫式部によって平安時代中期に書かれた『源氏物語』は、全54帖に400人以上の人物が登場し、4代にわたる75年間の出来事が描かれた長大な物語。登場人物の詳細な心理描写を含む、巧みに構成された世界最古の長編小説といわれ、世界各国の30以上の言語に翻訳されています。本書では、日本古典文学研究の第一人者である著者ならではの解釈による「桐壺」「夕顔」「若紫」などの代表的なエピソードの現代語訳が、日英対訳で楽しめます。

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